パラサポ

リオパラ直前! ライター座談会その1〜魅了された選手

開幕直前企画! パラリンピックの見どころ鼎談

いよいよ開幕間近となったリオデジャネイロパラリンピック(以下、リオパラ)。
長年にわたりパラスポーツを追いかけ、その魅力を知るライター3人が、今大会の見どころや注目選手はもちろん、パラリンピックの魅力や取材時のエピソード、そして2020年の東京パラリンピックへの思いまでを縦横無尽に語ります。第1回の今回は、パラスポーツならではの魅力、そして世界のスゴい選手をご紹介!

スポーツ好きにはたまらない! パラスポーツの魅力

―水泳のリオパラ選考戦や車椅子バスケットボールのリオ予選などが数多くのニュースで取り上げられ、パラリンピック開幕に向けて注目度が高まっています。とはいえ、まだまだパラスポーツになじみがない人が多いのもたしか。そこで、まずは、パラスポーツの最前線にいる皆さんが感じるパラスポーツの魅力を教えてください。

荒木 パラリンピックは障がい者スポーツの最高峰の祭典なのですが、そもそも障がいと一口に言っても実に多彩です。例えば、下肢障がいの選手の中には車いすを利用している人もいれば、義足の人もいます。視覚障がい者の中には全盲も弱視もいますし、さらに知的障がいや脳性まひなど、種類もその程度も人それぞれです。競技の公平性を図るために、障がいの内容や程度、使用している用具などによってクラスを分けて行われているのが、パラスポーツの特徴というわけです。

でも、健常者から見ると、その分け方がわかりづらいし、なんとなくとっつきにくい、という声もよく耳にします。そもそも障がい者に接する機会が少ない方も多いので、仕方ない部分もあるのですが、実はこうした障がいやクラス分けといったことをまったく知らなくても、パラスポーツ観戦って十分楽しめるんです。

たしかに健常者と比べると、障がい者には失われた機能があるわけですが、それは決して劣っているということではありません。失った部分を補うべく、どの選手もみな、厳しいトレーニングを積んでいます。それだけに、スピード感や力強さ、筋力、戦術の巧みさなど、健常者スポーツ同様、場合によってはそれ以上に目を見張るものがありますし、パラリンピックや世界選手権のようにトップアスリートが集まる大会では、すごいプレーが続出で、スポーツ好きの人なら興奮しちゃうことうけあいです。

星野 私は普段、視覚障がい者ランナーの伴走ボランティアをしているのですが、障がいがあっても私たち健常者となんら変わらないし、かえって耳など視覚以外の機能や感覚は、健常者以上に鋭いということを実感しています。一般アスリートでさえそうですから、トップクラスの選手たちといったら、もう本当にすごいですよ!

荒木 「パラスポーツは障がい者がやるスポーツ」、だから「スポーツとパラスポーツは別物」と考えている人がまだまだ多いですよね。たしかにその通りなんですが、実際に競技に携わっている人たちからしてみると、パラスポーツもれっきとしたスポーツで、そこに境目なんてないですし、私たちも同じ気持ちで記事を発信しています。

瀬長 そう、パラスポーツは、サッカーやバレーボール、バスケットボールなどと同様、スポーツの一分野なんですよ。しいて言えば、マイナースポーツ?(笑)

パラスポーツの歴史を塗り替えたヒーロー―忘れられない選手その1

―みなさん、熱い気持ちで取材してきたんですね。これまでの取材した中で、印象に残っている選手っていますか?

星野 陸上のオスカー・ピストリウス(南アフリカ)! 両足義足のスプリンターで、両足切断クラスの100m、200m、400mの世界記録保持者です。12年ロンドン大会では、オリンピックとパラリンピックの両方に出場したんですよ。だれもが認めるパラスポーツ界のヒーローでした。

瀬長 わかります! パラスポーツを取材している人なら、誰もが一度は記事にオスカーの名を書いているはず。

荒木 現役時代は、オリンピック選手と競えるぐらいのタイムを叩き出していましたもんね。オスカーはそもそも、08年の北京オリンピック出場をめざしていたのですが、義足は疲れにくいから有利ではとのことで、認められなかったんです。

星野 100 mでは健常者に負けちゃうけど、400 mでは、健常者が失速する最後の100 mでぐっと加速するので、そういわれちゃったわけです。

瀬長 オスカーのオリンピック出場の是非が裁判にまで発展し、世間から義足は技術ドーピングだとかの批判が飛び交う中、世界のトップ選手が「一緒に走りたい」というようなメッセージをツイートしたんです。あれには感動したなあ。

星野 結局、北京オリンピックには出られなかったのですが、同パラリンピックで三冠を達成し、11年のテグ世界陸上(韓国)では、健常者のレースに出場することになったんです。これは観に行かなくちゃって、勇んで取材に行きましたよ。400mは準決勝で敗退、4×400mリレーでは予選で第一走者として出場し、南アフリカチームの決勝進出に貢献しました。残念ながら、決勝では走らなかったものの、チームは銀メダルを獲得し、オスカーも銀メダルを手にしています。
そして、12年のロンドンでは、ついにオリンピックとパラリンピックの両方出たんです!

そのころ、南アフリカでは陸上選手が少なかったため、オスカーは渡米して、アメリカチームと一緒に練習していました。テグ世界陸上でも一緒に走ったアメリカの400mの選手にオスカーについてどう思うかインタビューしたところ、「義足の有利性についてあれこれ言われているけど、彼の努力を僕は知っているから、オリンピックで一緒に走れることになってうれしい」って言っていたのが印象的でしたね。

瀬長 私もロンドンパラのレースは取材に行きましたが、スタジアム中がオスカーに注目していて、すごい数のフラッシュがたかれていました。世界中のメディアからも一番注目されていて、選手に囲み取材をするミックスゾーンでの記者の数もすごかったですよね。

荒木 ふつうは、その選手の国のメディアぐらいしか集まらないのにね。

瀬長 そこに集まった報道陣にインタビューの声が聞こえるようにと、ミックスゾーンにマイクとスピーカーが用意されていました。私たちはオスカーに近づけなかったから、声を拾うためにスピーカーにICレコーダーを向けて録音したんです。こんなこと初めてでした。それを考えても、オスカーは間違いなく、ロンドンパラで一番、関心を集めた選手でした。

星野 その後、事件を起こしてしまい、表舞台から消えていくという残念な結末となりましたが、アスリートとしては間違いなく歴史の1ページを飾った選手でした。

―オリンピックに出ているパラリンピアンって、ほかにもいるんですか?

星野 いるんですよ! 卓球のナタリア・パルティカ(ポーランド)や、オープンウォーターのナタリー・デュトワ(南アフリカ)が有名ですね。

荒木 卓球と水泳は、義足のような用具は使わずに、いわば体ひとつで健常者と同じ舞台で戦えますから。両選手とも、実力があるからオリンピックに出られたんですもんね。

星野 そうなんです。デュトワはもともとオリンピックを目指していた水泳選手だったんですけど、事故に遭って片足を切断しました。そこで今度は、義足を使わずに片足だけで遠泳に取り組み、オリンピックに出場したんです。

荒木 最初はハラハラするんですよね、足や腕がないのにどうやって泳ぐんだろうって。

瀬長 片足や片腕の選手なんて、最初は左右のバランスを取りながらまっすぐ泳ぐことさえ難しいはずですからね。

荒木 ちなみに、卓球のナタリアは、リオオリンピックに出場しています。

瀬長 あと、車いすのアーチェリー選手、ザハラ・ネマティ(イラン)もリオオリンピックに出場。というか、リオオリンピックとパラリンピックの2大会を戦い抜くなんて、想像を絶するんですけど!!

車いすテニス、クァードクラスのレジェンド―忘れられない選手その2

荒木 私が好きな車いすテニス界にも、レジェンドがいますよ。
車いすテニスには、男女別に加えて、三肢以上に障がいがある選手が競い合うクァードというクラスがあるんです。障がいの程度の差でクラス分けしてないので、頸椎が損傷していたり、腹筋がなかったり、握力がなかったりとさまざまな状態の選手たちが同じコートで競い合っています。
このクァードクラスのパラリンピックチャンピオンが、ニック・テイラー(アメリカ)です。

星野 報道とか成績のデータを見て、大きな大会で連覇しているすごい選手ということは知っているけど、そのプレーを直接見たことはないなあ。

荒木 彼は生まれつき手足が短く、手首が外側に曲がり、腕が動く範囲もごく限られています。電動車いすに乗っていて、ひじなどでレバーを操作して、車いすを動かしています。ラケットは、握りはしますが、振ると飛んで行ってしまうことがあるので、地面に落ちないようにラケットにストラップをつけ、それを手首に巻いて固定しています。では、サーブはどうするかというと、まずボールは地面に置いてもらい、それを両足で挟みます。そして、ピョンと足先を振り上げる勢いを利用してトスを上げ、それを打つんです。電動車いすなので重いし、当然、小回りもききません。プレーは、ジーッと動いてポンと打つ、またジーッと動いてポンと打つ、の繰り返しです。

―電動車いすではなく、一般的な車いすを操作する選手と対戦することもあるんですよね。

荒木 そうなんです。この状態でどう勝負するのか、不思議でしょ。実はニックはボールコントロールが抜群で、相手が打ち返しにくいところに打ち込むことを得意としているんです。このコントロールを武器に、てっぺんにまで上り詰めたのです。

星野 観てみたい!

荒木 でしょ! 今でこそこんなふうに解説していますが、11年の全米オープンで初めてニックを観たときは、さすがに衝撃的で(笑)。何がどうなってるんだと、頭の中に「?」がいっぱい浮かんで、子どもみたいにフェンスにしがみつき、必死にプレーを見つめちゃいました。
その後、本人に取材したところ、「生まれた時からこの体で、工夫して生活をしてきた。それが自分にとって普通のことだし、その延長でテニスもしている。この体だからといって、できないことはない」って言っていました。

瀬長 障がいを言い訳にしないんですね。まさにパラアスリートの鏡!

荒木 そう! かっこいいでしょ! これぞ一流のアスリートだと思いましたよ。さすが、アメリカのヒーローです。ところが、最近のクァードクラスには、片腕は不自由だけど、利き腕は正常で、パワーはあるし、手首も使えるとか、テーピングを巻かなくてもラケットを握っていられるとか、腹筋も効くといった、いわゆる障がいの状態がいい選手が参入してきて、レベルもずいぶんと上がってきているんです。これにはさすがのニックも太刀打ちできないようで、私が最初に取材した全米オープンでは、すでにシングルスのランキングを落としていて、ワイルドカード(主催者の推薦枠)で出場していました。とはいえ、ダブルスのランキングではまだまだ上位にいますし、リオパラも出場しますよ。

ブラインドサッカーの天才ストライカー―忘れられない選手その3

瀬長 私が印象に残っている選手は、ブラインドサッカーのリカルド・アウベス(ブラジル)です。

彼のプレーに衝撃を受けたのは、14年、東京・渋谷の国立代々木競技場フットサルコートで行われたブラインドサッカー世界選手権でのことです。ブラインドサッカーでは、選手はアイマスクという目隠しをつけてプレーしているのですが、それにも関わらず、準決勝でのリカルドのフリーキックは、ゴールキーパーが見えているとしか思えないような見事なシュートでした。その神業的なプレーが大会を盛り上げ、アルゼンチンとの決勝戦では客席が満員になったんです。国内で行われたパラスポーツの大会で、日本以外の国同士の試合で満席になったのを初めて見たので、感動で震えました。何より、観客がスポーツとして観ている様子に感動しました。

―ブラインドサッカーも、やはりブラジルが強いんですか?

瀬長 そうなんです。パラリンピックではブラジルが金メダルを独占していて、リオでは4連覇を狙っています。今大会では、リカルドはチームのキャプテンを務めるのですが、実は足の手術をして、最近までボールを蹴れなかったんです。少し心配ではありますが、プレッシャーがかかる中、どんなプレーを見せてくれるか、注目しています。

東京パラリンピックの開催決定で、何が変わったか

―東京オリンピック・パラリンピック開催決定後、テレビや新聞といったメディアでパラスポーツが取り上げられる機会がぐんと増えています。例えば、みなさんの記事の読者が増えるなど、関心が高まっていることを感じることはありますか? 

瀬長 メディアで取り上げられる機会が増えてきたのは、本当にごく最近のことですね。13年に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まって、オリンピックについては一気に盛り上がってたと思いますが、パラスポーツの現場では、決定後1年ぐらいは取材するメディアの顔ぶれも同じで、意外と変わらないもんなんだな、なんて思っていたんです。

荒木 障がい者スポーツ専門サイトを運営していて、FBとツイッターも連動させて記事を発信していますけど、読者が増えたというダイレクトな実感はないですね。ただ、開催決定後から1年ぐらいの間にパラサポのようなパラリンピック関連の情報を積極的に発信する団体が設立されたり、企業にオリンピック・パラリンピックを推進する担当部署ができたりして、少しずつ環境が変わってきたなとは思っています。

瀬長 そういえば、オリンピック・パラリンピック室を設置した企業が、ある競技の大会スポンサーになった際、担当者の方が「いつも瀬長さんの記事を読んでます」と、声をかけてきてくださいました。知り合い以外に、そんなことを言われたことはなかったので、ちょっとびっくりしちゃったのですが。その後、別の企業の方からも同じ様なことを言われる様になり……。まあ、これもいわば関係者で、一般の読者層が広がっているのか、全くわかりません(笑)

星野 私は、今年7月に開催された「アクサブレイブカップ ブラインドサッカー日本選手権」で、テレビで大会を知って応援に来たという人を取材しましたよ。

瀬長 「車いすテニス世界国別選手権」も、連日スポーツニュースなどで報道され、最終日に行われた決勝戦は有明コロシアムに3000人超の観客が入ったんです。日本チームの活躍が大きかったと思いますが、あれは感動しましたね。

―メディアが取り上げることで、興味を持つ人たちが少しずつ増えてきているということでしょうか。

荒木 たしかに、パラスポーツ大会が開催される地元のテレビや新聞も、今まで以上に力を入れて、きちんと大会の様子を取り上げるようになってきていますね。そういう意味では、多くの方がパラスポーツの情報に触れる機会が増えているんでしょうね。

星野 目に触れる機会が増えて、魅力が少しでも伝われば、心に響くと思いますよ。だからこそ、ライターとしてはもっとがんばって伝えなくちゃ、と思いますね。東京パラの会場を満員にするべく、種をまいていかなくちゃと思いますし、それが取材活動を続けるモチベーションにもなっています。

<第2回は、ライター3人が最も印象的だったパラリンピック開催都市などを語ります!  お楽しみに>

【出席者】

荒木美晴
MA SPORTS代表、ライター。滋賀県大津市在住。1998年長野パラリンピックでパラスポーツと出合い、その魅力に開眼。この感動や興奮を多くの人に伝えたいと、大阪の衣料問屋のOLからライターに転身。以後、世界選手権やパラリンピックをはじめ、国内外の大会を精力的に取材。記事は、障がい者スポーツ専門サイトなどで発信している。初パラリンピック取材は、00年シドニー大会。

瀬長あすか
フリーランスエディター&ライター。東京都江東区出身。日本財団パラリンピックサポートセンターWEBエディター。学生時代より記者活動をスタートし、ブラインドサッカーとの出合いをきっかけに、パラスポーツを追いかけ始める。2011年よりフリーに。現場主義をモットーとし、取材したパラスポーツは50以上。初パラリンピック取材は、04年アテネ大会。

星野恭子
フリーランスライター。新潟県出身、東京都在住。偶然の出会いから始めた盲人マラソンの伴走ボランティアで、障がい者の能力の素晴らしさを知るとともに、パラスポーツの魅力に目覚め、メインテーマのひとつとして追いかけ始める。アスリートだけでなく、周囲で支えている人たちにを当てた記事も好評。著書に『いっしょに走ろっ!』(大日本図書)など。初パラリンピック取材は、08年北京大会。

text by Masae Iwata , photo by X-1,parasapo

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