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リオパラ直前!トライアスロン日本代表の佐藤圭一×武井壮スペシャル対談

2016年4月に開設されたコミュニティラジオ「渋谷のラジオ」で、毎週土曜日夜7時5分から放送されている「渋谷の体育会」。平井理央さんがパーソナリティーをつとめ、パラアスリートと健常者アスリートの対談トークなどが毎週放送されている。今回、リオパラリンピックに向けて、トライアスロン日本代表の佐藤圭一選手と、陸上・十種競技の元日本チャンピオンでタレントの武井壮さんが出演した放送分を、編集のうえ紹介します!

“百獣の王”武井壮דパラトラ王子”佐藤圭一

平井理央 まず、先輩、佐藤圭一さんの紹介をさせていただきます。

1979年生まれ、愛知県のご出身です。19歳のときに長野パラリンピックで日本人選手の活躍を見て競技者を目指すも、経済的、環境的な面から一時断念し、会社員としての道を選びます。しかし2005年、脱サラし、カナダへ留学。競技者としての道を進むこととなります。2010年のバンクーバーパラリンピック、さらに2014年ソチパラリンピックにクロスカントリーとバイアスロンでご出場。さらに2014年からトライアスロンにも挑戦し、現在はリオパラリンピックを目指してトレーニング、レースに挑む日々を過ごされています。ちなみにそんな佐藤さんのニックネームは、クロカン王子、バイアス王子だそうです。ということで、王子に今日は来ていただいたということで。

佐藤圭一 よろしくお願いします!

武井壮 初めまして、王子。佐藤さん、すごいですね。26歳で脱サラ。カナダへ。

佐藤 ばかでしょう。

武井 面白いですね。

平井 どうだったんですか。佐藤さんのそのパラトライアスロンという競技、いま挑戦中ということなんですけど、それはどういう障がいだったりとか、クラスがあるんですか?

佐藤 簡単に言うと、男女それぞれ5カテゴリに分かれていまして、重度の障がいの方でいいますと、車いすに乗られていて、手しか動かせない方はトライアスロンで言うと、全部の種目、スイム、バイク、ランを手で行うんですよ。具体的には、距離はスイム750、バイクが20キロ。ランが5キロの、一般的に言うスプリント競技になるんですけども。

武井 自転車はどうするんですかね?

佐藤 自転車がハンドバイクっていうのがありまして。手だけでペダリングして漕ぐ自転車があるんですね。ランのほうは、足が悪いですから、車いすレーサーっていう、車いすのちょっとスピードが出そうなレーサー系の競技用の車いすがあるんですけど、それで5キロをまた手だけで押してという競技ですね。

平井 いわゆるそれだと私たちが見るマラソンとかで車いすの方が使われている型の、車みたいなね、ありますよね。

佐藤 そうですね、車いすマラソンの、車いすレーサーです。その中で僕は比較的軽度の障がいで、一番健常者に近いレベルでやれるカテゴリで競技を行っているっていう感じです。

平井 佐藤さんの障がいとしてはどういったものになるんですか?

佐藤 僕は先天性で、生まれたときから形成不全で、左手の手首の先がないっていうかたちなので、見せれば早いんですけど、手首は実際あるんですけど、ちょっと先からはもうなくなっている状態っていう感じなので。物をつかむことはできないんで、ほとんど右手で、こう指先の動作は右手で全部行うっていう感じですね。

平井 競技のときは、じゃあ例えば義手をつけたりとかされて、バイクだったりとかっていう。

佐藤 僕の場合は義手は使用しないですね。

武井 してもいいんですか?

佐藤 してもいいんですけど、スイムはNGなんですけど。(スイムは)パドリングとかうまくいっちゃうから、それはちょっと不公平になってしまうということで、スイムのときはそういう義手とかは着用は不可。バイクに関しては人それぞれ、義手をつけて自転車漕ぐ人もいれば、自転車を改造して自分の障がいに合ったいいポジションをとれる自転車に改造したものを乗られている方もいますし。ランは、足の悪い方ですと義足をつけて、本当にブレードと言いますか、バネの本当に跳躍力がこれは本当の足よりも速く走れるんじゃねえかなっていうようなやつをつけて走られるっていう感じですね。

平井 実際、いま本当に義足の技術がものすごい上がっていて、本当にそれこそいわゆるトップランナーの方よりも早い義足のランナーの方がもうすぐ出そうだみたいな話を聞いたことがあるんですけど、それは本当なんですか?

佐藤 確かにその義足を作る技術というのが年々レベルが上がってきているんで、その義足自体のパフォーマンスも上がってきたというのもあるんですけど、やっぱり義足のパフォーマンスが上がるのと同時に、競技のパフォーマンス、身体の障がいを持った人の身体自体のレベルも上がってきているので。義足がハイレベルな分、それにバネだったら反発だとか、そういったものに耐え切れるだけの体力がないとやっぱり使いこなせないですね。なのでアスリートの努力がその競技結果に結びついていると僕は思います。

平井 なるほど。続きまして、武井壮先輩のご紹介をさせていただきます。1973年生まれ、東京都葛飾区のご出身です。陸上十種競技の元日本チャンピオンでいらっしゃいます。アメリカへのゴルフ留学、スポーツトレーナーとしての活動、社会人野球茨城ゴールデンゴールズ入団など、スポーツ界を席巻する傍ら、テレビをはじめとしたメディアでも大人気。また、ご自身のSNSによる情報発信も世間の注目を集めていらっしゃいます。ちなみにそんな武井壮さんのツイッターのフォロワー数、今年の4月に100万人を突破されています。ということで、本当に今、いろんなスポーツに携わられて、今なおトレーニングは毎日されているんですか?

武井 そうですね、毎日1時間必ず。基本的にはダッシュ、スプリントトレーニングというのが必ず入っていて、後、日によってはウェイトトレーニングだったり、身体のフィジカルなトレーニングが入っていて。後はもう1時間、今は新たな技術を手に入れるトレーニングというのをもう1時間設けていて。

平井 武井さんはそれこそそういうスポーツのトレーニングみたいなことを全部ご自分の自己流でやられているんですか?

武井 そうなんですよ。僕、小学校のときからそのトレーニング理論を作り始めて。最初は小3なんですけど、2年生の体育祭で負けかけて、それがすごい嫌で、毎日学校に行くのをタイム測り出したんですよ。そうしたらタイムが毎日伸びると思っていたら伸びないんですよ。それが不思議でしょうがなくて、体育大のお兄さんに質問したら、去年使った教科書を全部いただけて。それを読むのを始めたのが小3のときで。小5のときに、スポーツってなんでうまくいかないんだろうって疑問が生まれて。なんでホームラン毎打席打ちたいのに毎打席打てないんだろう、それがもう不思議でしょうがなくて。このハチミツジンジャー(※番組で用意していたドリンク)はいつでも飲めるのに、なぜホームランはいつでも打てないのかっていう。

平井 なるほど、なるほど。同じ身体がするアクションなのに。

武井 そうです。その疑問に立ちかえったときに、いろんなそれまでの勉強が役立って、自分のトレーニング理論、こういうできないってことをできるようにするための最短距離は何かっていうのが僕のトレーニング理論なんですけど、そこにたどり着いたっていう。目覚めが早かったんです。

平井 早いですね。そして今、なお目覚め続けているという。どうですか、佐藤さん、これはアスリートとして。

佐藤 僕はどうですかね。開花するのが遅かったんで。なのではじめ、武井さんがトップアスリートだった小学校のころは僕はどちらかと言うと運動音痴だったんで。なのでスポーツをやるタイプではなかったっていう感じですね。なんでこんな疲れることしているんだろうっていう。

平井 じゃあ目覚めたのは本当に19歳のときの長野だったんですか?

佐藤 19歳も微妙ですね。実際にちゃんとトレーニングし始めたのは、本当にこの2005年の脱サラして、カナダ留学に行ったぐらいが。

武井 26ぐらいだ。10年ちょっと前ぐらい。

佐藤 それぐらいがちゃんとそこから真面目にやったっていう感じです。

武井 でもいいですよね。やっぱり夢がありますよね。そこにはね。その年からスタートしても世界に戦える扉が開くっていうことですもんね。

平井 そうですよね。だから5年でバンクーバーパラリンピックに出場されて。ソチも出られて、いまリオを目指しているっていう。もうめっちゃアスリートと思っていましたけど、意外とスロースターターだった。

佐藤 そうなんです。

平井 佐藤さんが、それこそ冬はクロスカントリーとバイアスロンをされていて、夏はトライアスロンという。もう1年って365日しかないわけじゃないですか。その中でこんなに多くの競技を。それを試合に出て、かつ、トレーニングもしなきゃいけないし、オフはみたいなふうに私、調べていて思ったんですけど、ぶっちゃけどうされているんですか。流れていくんですか。

佐藤 ざっくり言うと、春夏トライアスロン、秋冬クロスカントリースキー、バイアスロンという感じです。

平井 トライアスロンの練習はじゃあ秋冬が終わったら始まるみたいな感じなんですか。

佐藤 トライアスロンの練習はもう春先ぐらいしかしないですね。後は、もう試合で遠征ばっかりに入ってしまうんで、調整しながらレースと一緒にトレーニングを積んでいって。大体、大事なレースが夏場の終わりのほうとか、秋口にあるんですよ。そこにちょうど標準を合わせたいんで、こうトレーニングをどんどんハードにしていって、一番自分が狙っている、例えば、今年で言ったらリオの9月に開催されるんですけど、そこにちょうどピークを合わせられるように8月の中旬ぐらいまでハードにやって、そこで1回落として、そのリオの大会に向けてまた調整していって、リオで最高のパフォーマンスが出せるようにトレーニングをしていくっていうかたちを採ってやっています。

平井 そうですよね。もともとトライアスロン始められたきっかけも、トレーニングとして最初挑戦されていたんですか?

佐藤 そうです。冬のクロスカントリースキーがたまたま自転車が乗るトレーニングが組み込まれていて、ロードバイクを結構乗るんですけど。その中で近くに自転車屋さんがあるんですけど、いまはその自転車屋さんから実際トライアスロンで競技に使っている自転車をサポートしてもらっているんですけど。そこの社長さんから、「いや、佐藤君、2016年、リオパラリンピック正式競技になったから、トライアスロンやらないか、トライアスロンやらないか」ってずっと言われ続けていたんです。トレーニングがてら、心肺機能も付くかもしれないし、ちょっと興味あったんで、試しにやってみたところ、はまってしまって。自分がどこまでいけるのかなっていう考えが思いつきまして、ちょっと挑戦してみようかなっていうことで。世界の名だたる大会にエントリーできるようにちょっとトレーニングしてみようと思ってやっていたら、リオの出場の望みが出てきたので、これは本気でやらざるをえないなっていう。

平井 具体的に今、どういうトレーニングを佐藤さんはしていらっしゃるんですか?

佐藤 僕は天才じゃないんで、教科書を読んで、それを丸々やってみて。朝はスイムを6時半ぐらいから8時ぐらいまでか、長い時は9時ぐらいとかで、大体4,000から5,000ぐらい泳ぐんですけど。その後にちょっと休憩して、補食摂って、大体4時間から長い時で7時間ぐらい、距離で言ったら100キロから200キロぐらいのバイクの練習をして。帰ってきて、ランニングを90分ぐらいやって、ちょっとまた補食摂ってから。体幹トレーニングとか、スタビリティのトレーニングをして。あとは、ストレッチをして終わるっていう感じ。

平井 ハードですねと思ったんですけど、武井さん、ふんふん、まあそうみたいな。全然まったく驚きがないっていう。どうですか、武井さんがもしトライアスロン挑戦します。されたことってまだないですか?

武井 ないです。僕はスプリントオンリーだったんで。

平井 もしじゃあ挑戦されるとしたら、どういうトレーニングいこうかなっていうふうに今までの蓄積からすると。

武井 僕はとりあえず何か競技始めると必ずその種目のチャンピオンのところに行くようにしているんで。必ず世界チャンピオン訪ねてまず最初行くと思います。1ヵ月でも12ヵ月でも。技を見せていただいて、トレーニング内容をしっかり自分の身体とその相手の身体の違いを分かるようにデータ取って、自分がどういうアプローチをすればその彼の持っている能力に近づいていって、いつか追い抜くことができるのかっていうのを先に考えてプログラムを立てていく感じです。

それが分かっていれば、どのぐらい何をやっていくのかっていう、そのさじ加減が分かってくるんで。それがその人よりも緩ければ絶対追いつきませんし、やっぱり後から始める競技っていうのは必ず他の選手よりも高い成長曲線でスタートしなきゃ絶対に追いつかない。これはもう物理的に当たり前のことなんで。だから今、チャンピオンの人間を探して、その選手よりも高い成長曲線を少しでも描けるトレーニング内容を持ってスタートするっていう。それは時間が短くても、必ずいつかたどり着くようなビジョンを持って始めるんで、とりあえず始めることはあんまりしないんです。だから何か始めるときも、必ずチャンピオンにお声掛けして、もしよろしければ一緒にやらせていただけませんかって。十種競技のときもそうだったんです。

平井 そうなんですね。

武井 はい。大学3年で始めたんで、遅いじゃないですか、21歳で始めているから。僕、神戸学院大っていう関西の学生で二部の学校だったんで、全然強い選手がいないんですよ。関西でも一部の学校にも全然勝てないような選手ばっかりだったんで、ここでずっと練習しているとたぶん育たないなと思ったから、東京の日本大学、日大に出稽古ですよ。当時、陸上の日本記録保持者が山ほどいたんですよ、100メートルの井上悟さんとか、幅跳びの森長正樹さんとか、いろんなその当時のチャンピオンが全員日大にいたんですよ。

じゃああそこ行きゃいいじゃねえかっていって、ちょうどそのとき、阪神大震災なんかがあって、神戸がちょっと大変な時期だったんで、これは俺がそこでバンバントレーニングして飯食ってると周りの人に迷惑掛けちゃうなと思って、じゃあ俺東京に行こう、ってバイクで東京に向かって、日大の寮にそのまま付けて、「すいません、ちょっといろいろあって練習場所がないんでここでやらせてください」って言ったら受け入れてくださって。日大のそのチャンピオンたちの映像をずっとビデオで撮りつつ、トレーニングメニューをマネージャーから全部もらってコピーして、それをデータ全部取って、彼らの動きと内容と練習で出したタイムとかデータを全部裏でパクりまして。その半年後にもう日本学生選手権で2位になったんです。

佐藤 すごいな。

武井 2位になったら、日大で練習していたことがバレて。先生たちは、最初僕を日大の新人だと思っていたんですよ。そのとき、優勝が筑波大の選手で、2位が神戸学院大、僕で、日大の選手が5位、6位ぐらいだったんですよ。それで、あれ?あいつ、うちの学生じゃねえのか?って先生が気づいて次の日に追い出されました。そんなことありました。でもとにかくやっぱり一番合理的で、一番クオリティーの高い選手のところに行って見るっていうのが僕の一番楽な方法っていうかね。

平井 どうですか、佐藤さん、そういうことってされたりします?

佐藤 いや、でも言われてみれば、僕も、トライアスロンって全然分からなかったんですよ。スキーやっていたんですけど。なのでとりあえずその勧めてもらった社長さんから、トライアスロンやれるチームって名古屋にあるんですかって聞いて、その中で3個ぐらいトライアスロンチームあったんですけど、一つのトライアスロンチームだけが元全日本チャンピオンって書いてあったんですね、コーチが。なので迷わずそこに行きました、はじめ。

平井 でもちょっと近しいことというか、発想としては似た感じのことですかね。

佐藤 そうですね。

武井 いろいろありますよね。アスリートってそれぞれ個性が違うから。手に入れ方も違うんで。なるほどなと思うこといろいろありますよね。

平井 アスリート界をちょっと引いて全体的に見たときに、そういう方法というか、そういうものがものすごいクレバーだなって思う選手っていたりするんですか?

武井 成績で言うわけじゃないですけど、イチロー選手の野球に対するアプローチはクレバーだなと思っていて。それは彼はよく、一般の人って彼のバットコントロールが素晴らしいとか言うじゃないですか。

僕は決してそこが彼の一番優れた場所じゃないと思っていて。彼の一番優れているのは、重さとかそういうのあるじゃないですか。物の重さをなるべく軽い状態で扱おうとしている彼の感覚ですよね。それで得た、例えば、腕って7、8キロあるわけですよ、ドンッて切り落としたら。その腕がしかも1メーターぐらいの長さあるわけで。それをブンッて振って球投げるっていったら、もう肩の関節とか肘の関節とか靭帯とかにすごい負荷がかかるんですね。

だけどそれを最初に、筋肉とかを使って動かすんじゃなくて、ブンッてこう動かしだしちゃって、軽くなってから力入れたりとかってしてるんです。1回ブンッて振ってから、すごい分かりづらいですけど、ラジオだと。重みをたくさんの腱とか筋肉に分散していくか、もしくはグンッていっぱい1回引っ張ると筋肉ってギュッて引っ張られながら縮むみたいな状態が起きるんですね。それでその強い反射を使って軽くしてバンッて弾くか、そのどっちかなんですけど、それを彼はたぶんすごい感覚が鋭利な方で、より軽く、より身体に負担がないようにより速く動けるようにっていう感じで動いているのが見えるんですよ。だからあれだけもう二十何年プロでやっていても大きな怪我をほとんどしないし、肉離れとか靭帯切れたとかそういった怪我はほとんどしないで。

平井 そうですね。

武井 筋力が衰えてきているにも関わらず動きがあんまり変わらないっていうのは、本当にその重さを軽い状態で扱えているから、そんなに筋力がいらない動きをしているんですね。その辺りのアプローチはすごい。

それで手に入れた足の速さで内野手は、皆、彼がボテボテのゴロ打つと焦って、球取れなくて内野安打にされちゃう。年間で60本ぐらい内野安打打っている年もあるんです。結構な打率なんですよ、年間の60本って。例えば、60本ってヒットの4分の1は内野安打なわけですよ。それは3割5分打っていても、内野安打がなかったら2割台なんですよ。

彼の成績の良さは、足が速くて、早く一塁にたどり着くことを前提とした打球がどこに転がって、その結果になるかということと、球に速く追いつく守備力と、捕ってからそのボールを軽くして、バンッと速いスピードで正確に投げられるっていうその総合力っていうね。これを持って野球をやるっていうのが1番。野球選手はああいう能力あるのって絶対有効だと思いますよね。

平井 スポーツも見方ってそういう見方もあるんですね。佐藤さんはいかがですか?

佐藤 僕は今の話を聞いて、武井さんが。すごいクレバーなアスリートだと思います。

平井 アスリートですよね、武井さんも。

武井 いえ、百獣の王です。

平井 もう百獣の王なんですが。百獣の王を目指すっていうところからもう。

武井 目指していたんですけど、ある日を境にネット検索とかしたら、百獣の王ってやって、ライオンより僕のほうが先に出てくるようになったぐらいから、それが。

平井 イッツミーとなったっていう。

武井 容認されてきた。それはでも皆そうでしょう。ミスタージャイアンツも。生まれたときからミスタージャイアンツじゃないわけで。世の中の人がミスタージャイアンツと呼んのが長嶋さんだったっていう。そういうわけなんで。皆、それが可能っていうことです。

佐藤 僕も口だけでリオパラリンピックに行く行くって言っていたら、いつの間にかそうなっていました。

武井 そういうこと。僕が言ったの、そういうことです。今、同じことです、僕が言ったの。

平井 つながっちゃいましたね、佐藤さん。

佐藤 本当になりました。

平井 そうなんですね。じゃあもう始めたときからリオを目指してっていうふうに。

佐藤 どうせやるならトップを目指すっていう。

平井 あれよあれよといううちに。始められてまだ2年たっていないぐらいですか。ちょうどもうすぐ2年ぐらい。

佐藤 そうですね、ちょうど3年目なので。2年越えした辺りです。

武井 すごいね。ちょうど同じぐらいです、僕が陸上で日本チャンピオンになった期間と。僕も陸上十種競技2年半ぐらいだったんで。似たような感じのキャリアで。

平井 あれ、なんか不思議とつながっちゃいましたね。

武井 だから平井さんとも似ていますよね。平井さんもあれですもんね、学生のときに、私、フジテレビでアナウンスでトップ取るって言って、その2年半後にトップ立っていましたもんね。

平井 どんなめちゃくちゃな情報ですか。嘘ですよ。

武井 3人並んでいますよ。3人並んでいます、本当にね。やったな。

平井 2年半っていうのはなかなかいろんなことが可能になる期間なんだなっていう。

武井 そうですね。そのぐらいの期間、十分可能な期間ですよ。

平井 なるほど。いや、意外とすごいきれいにまとまっちゃってどうしようかと思いました。さあ、ということで、リオパラリンピックトライアスロン日本代表候補、佐藤圭一先輩、そして陸上十種競技元日本チャンピオン、そして百獣の王でいらっしゃいます、武井壮先輩とともにお送りしました。おふたりとも、ありがとうございました。

*編集注:佐藤選手は、番組放送後の8月24日、リオパラリンピック日本代表に決定。トライアスロン男子競技は、9月10日、コパカバーナ地区で開催予定です。

text by Parasapo , photo by X-1, special thanks“shiburadi”

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