2016年9月14日
届かなかったメダル。2mジャンパー鈴木徹、5度目の挑戦。
「本番で力を発揮できなかった」
「跳びたい。跳ばなければならない。そんな思いが強すぎたのかもしれません」
リオパラリンピックの陸上競技、男子走り高跳びT44(切断・機能障がいなど)で、惜しくも4位に終わった鈴木徹は、期待されたメダルに届かなかった理由を、懸命に絞り出した。
右脚義足のジャンパー、鈴木は初出場の2000年シドニー大会で6位に入賞して以来、パラリンピックに連続出場。順位も5位、5位、4位と上げてきて、「次はメダルだ」と、誰もが、いや、誰よりも鈴木自身が自分に期待し、自信を持ってリオにやってきていた。
実際、今季は序盤から好調だった。5月にはリオパラリンピックのプレ大会、「IPCグランプリ・リオデジャネイロ大会」で、自己新記録となる2m02をクリアし、自身のもつアジア記録と日本記録を更新。本命のパラリンピックと同じ会場で、一足先に会心のジャンプができたことは会場との相性のよさを感じ、大きな自信にもなった。
その1週間後にも、健常者の大会「山梨県選手権」で2m01をクリアし、さらに7月には「関東パラ陸上競技選手権大会」で2mを跳んでみせた。1シーズンで2m以上を3度跳ぶのは16年の競技歴で初めてだった。
このとき、「2mを1シーズンに3回、36歳という年齢で跳べたのは大きい。(成功の)アベレージが上がってるので、そこは自信をもちたい」と力強く語った鈴木。自分の進化と跳躍の安定感を実感し、本番に向けての自信をまたひとつ手にしたようだった。
その後の調整も順調で、故障などもなく万全の体調で臨んだという、リオのピット。メダルをにらみ、2m05を目標したが、スタートの高さは、「低いところから慎重に、微調整しながら行きたい」と、1m85から。次の1m90とともに軽くふわりと1本目の試技でクリアした。つづく1m95も1回目はミスしたが、2回目にきっちり修正し、好ジャンプで跳び越える。
だが、バーが1m98に上がると、なぜか急に体が思うように上がらなくなり、1本目をミス。6選手でスタートした試合も、すでにひとりが脱落し、トップ選手は1m98をパスしていた。さらに、4人のうち2人が1本目でクリアしたため、試技の間隔も短くなっていた。
2本目は成功したかに見えたが、無情にもほんの少し鈴木が触れた振動で、バーは落ちた。悪い点を修正できないまま、つづく3本目もミス。鈴木の5回目のパラリンピックは幕を閉じた。
試合後、呆然とした表情で、「メダルが獲れなくて残念。何が悪かったか分からない。ちょっと力みがはいったかもしれない」と、鈴木は振り返った。
その背景には、今大会、陸上チームにメダリストがなかなか生まれなかったことで、「自分が(メダルを)獲って、いい流れをつくりたいと思っていた」ということもある。ベテランならではの責任感が、見えない重圧となっていたのかもしれない。
また、義足アスリートのパイオニアという立場を背負い、常に第一線に立ってきた。2006年に初めて2mを跳び、「世界で2番目の義足の2mジャンパー」と注目もされ、さらなる高みをめざし、周囲の期待に応えるべく、一心に努力してきた。
4位に終わったロンドン後、練習内容や取り組み方を見つめ直し、やるべきことはやり、コンディションもよく、いい準備もできていて、満を持して臨んだリオは、この4年間の集大成。悔やまれるのはただ一つ。「本番ですべての力を発揮できなかったこと」だ。
成長の意欲は衰えていない。「やり続けることが自分を高める唯一の方法かなと思っている。1cmでも可能性がある限りはやっていきたい」と、4年後の東京大会もすでに視野の先には入っているという。
とはいえ、ずっと先頭で走り続けてきた。以前、「走り高跳びは奥が深い競技。僕は記録を目指して跳ぶことが好きなんです」と、笑顔で話してくれた鈴木。今は少しリラックスして、楽しんで跳ぶことを思い出したら、またきっと記録も動き出すだろう。
text by Kyoko Hoshino/NO BORDER, photo by X-1