パラサポ

車いすテニス上地結衣。4年間思い続けた「金メダル」への挑戦

ライバルと対戦した準決勝

「悔しいという気持ちが一番。自分がやるべきことをしていたら勝てていたのに、それをやりきれなかった」

車いすテニスの女子シングルスは12日、準決勝が行われ、日本の上地結衣が第4シードのアニク・ファンクート(オランダ)に3-6、4-6.5-7のフルセットの末に敗れ、決勝進出を逃した。4年間思い続けた「金メダル」には、あとほんのわずか、届かなかった。

ワンセットオールで迎えた勝負の第3セット、互いにサービスゲームをキープし、一歩も譲らない展開に。2-2から先にブレークしたのはファンクート。だが第6ゲームで上地はすぐさまブレークバックに成功。さらに次のサービスゲームをキープし、4-3とした。だが、ファンクートもあきらめない。センターコートの広さを利用してボールを左右に打ち分け、勝負をかけてくる。上地はそのボールを必死に追いかけるが、最後まで流れを引き寄せられなかった。

対戦相手のファンクートは世界ランク4位。ふたりの対戦成績は、これまで上地の12勝に対して、ファンクートが14勝。今年に入ってからは4度対戦しており、2勝2敗と五分の戦いを繰り広げるライバルだ。だが、今日の試合は「ポイントを取りたいと思った時に守りに入ってしまった」と上地。練習を積んできたバックハンドのトップスピンも思うように繰り出せず、有利な状況を作り出せなかったことが、勝敗の分かれ目となった。

ロンドンパラリンピック後の決断

高校3年でロンドンパラリンピックに出場。この時はただがむしゃらに、世界の強豪たちに立ち向かっていった。準々決勝で今回対戦したファンクートに敗れたものの、初出場でベスト8と存在感と輝きを放っていた。しかし、「大会前は、ロンドンでテニスを辞めるつもりでした」。就職か進学を考えていた。だが、パラリンピックで観客の大声援に感動し、「世界」のプレーを目の当たりにしたことで、テニスプレーヤーとして生きていくことを決める。支援する企業の後押しもあり、決断した。

そこからの飛躍は目覚ましいものがあった。2013年、プロとしての活動をスタート。その翌年には全仏オープンのシングルスで初優勝、またダブルスにおいてはすべてのグランドスラムを制する「年間グランドスラム」を史上最年少で達成した。また、世界ツアーに参戦するなかで身についたのは、世界に通用するプレーや戦術だけでなく、いち選手としての在り方。海外選手と積極的にコミュニケーションを図り、英語も習得して、海外メディアの対応もひとりでスムーズにこなすなど、コート外でのたくましさも光る。

日本では車いすテニスを始める子どもたちが増えつつある。いまや、上地は男子の国枝慎吾とともに彼ら彼女らの“憧れの存在”だ。一度は途絶えかけたテニス人生。だが、リオパラリンピックの開会式では日本選手団の旗手という大役を務め、名実ともに日本を代表するパラアスリートになった。

上地結衣

三位決定戦の対戦相手のディーデ・デ・フロート(オランダ)は、世界で圧倒的な強さを誇る女子オランダ勢の“4番手”ながら、準決勝では世界ランク1位のイエスカ・グリフィオンをフルセットのタイブレークまで追い詰めた力の持ち主だ。だが、上地は強かった。この大会を通して成長を遂げる19歳の実力者相手に、6-3、6-3でストレート勝ち。金メダルは持ち越されたが、悲願の銅メダルを手にした。

text by Miharu Araki/MA SPORTS, photo by X-1

関連記事